いけばなの歴史
初期のいけばな

14世紀から15世紀に移る頃には、新しい住宅様式─書院造が生まれ、いけばなの起源となる挿花が現れます。わたくしたちが軸をかけ花を飾る床の間の原型と言われる押板が、この書院造にみられます。禅宗の発展にともなって中国から多数の書画や器物がもたらされ、押板の上には三具足飾※3-1がおこなわれ違棚や書院にはさまざまな器物が飾られるようになりました。三具足飾はもともと仏前供花の形式ですが、次第に室内装飾としての色合いを深めました。このころ池坊専慶が挿した挿花を人々が競ってみた、あるいは、京都御所で池坊がたびたび花を立てたという記録が残されています。また、室町将軍の同朋衆の中には立阿弥や相阿弥、文阿弥など、座敷飾の専門家が現われ、座敷飾としての花を立てました。  
相阿弥が伝えたという『御飾書』や、文阿弥が伝えたという『文阿弥花伝書』には、三具足飾や棚飾りの手法や挿花について記され、挿花は供花から次第に儀式の花、饗応の花へと展開します。  
池坊には『花王以来の花伝書』※3-2がのこされていますが、それには当時、「花を立てる」といわれた、いわゆる「立て花」のさまざまな形、あるいは、いけばな─抛入(なげいれ)と呼ばれる掛花や釣花、舟の花など、多様化された命題や形態をもつ挿花が見られます。また天文花伝書といわれる古伝の中には、池坊の花伝を伝える『宣阿彌花伝書』や『池坊中将公花伝書抜書』があります。

※3-1 仙伝抄
仙伝抄は、慶長・元和頃(1600年頃)に刊行されましたが、その内容は、室町時代の花伝を伝えるものとされています。図は3幅1対の絵を掛けた時の御成飾(三具足飾)および棚飾を示す図です。

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※3-2 花王以来の花伝書
現存する最古の花伝書。彩色の花姿図43瓶を中心に花伝を記述し、奥書には文明18年(1486)より明応8年(1499)までの相伝次第が記されています。


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