池坊は元来、聖徳太子の創建と伝えられる六角堂頂法寺の坊の名で、代々池のほとりに住まいがあったため人々から池坊と呼びならわされました。この池坊から次々といけばなの名手が現れます。
いけばなが記録に登場するのは五百余年前のこと。
室町時代の中頃、挿花の名手池坊専慶を出し、室町後期には池坊専応が現在に伝わる花伝書『池坊専応口伝』をあらわして、いけばなの理念を確立しました。それは、従来の挿花のように単に美しい花を鑑賞するばかりではなく、草木のいのち、風興を基とすることを説き、花をいけることによって、悟りに至ることが出来る花道の成立となった。
桃山、江戸前期には、二代にわたる専好が活躍し、立花の気風と風格を高めます。江戸中期には専定が生花の様式を確立。その後をうけた、専明、明治期の専正など、その時代を彩る名手によって香り高いいけばな文化が育まれました。
こうした先達の教えを守り伝えながら、過去へも未来へもつながる一筋の道を池坊は歩み続けています。
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江戸時代のいけばなの中で、もっとも古い様式が立花(りっか)です。室町時代以前は、花をいけることを「花をたてる」と呼びました。そこには「たてまつる」という意味が込められており、花は神や仏にたむけられるものでした。やがて、貴族社会から武家社会へと社会構造が大きく変換し、江戸時代前期には、立花が公家や武家だけでなく町人社会にも普及しました。池坊は、現代の住環境や、洋花などの新しい花材に対応した現代立花、暮らしの立花、創作立花を提唱しています。1999年には、21世紀の日本の住空間や人々の感性にふさわしい立花の様式として、当代家元専永宗匠によって「立花新風体」を誕生させました。
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室町時代の終わり頃から戦国時代にかけて、貴族や武士を中心に茶の湯が流行し、茶室には簡略な花ー「いけはな」がいけられました。簡略で手頃な「いけはな」は庶民にも人気を集め、小座敷の床の間にふさわしいいけばなとして、生花の様式が整えられてゆきます。明治時代の初め頃には、江戸時代後期に成立した生花の花形を基本として、正風体が整えられました。生花正風体は端正で優美、品格のあるいけばなとして広まり、今日に至っています。1977年に、当代家元専永宗匠により、現代の暮らしに適応する生花の様式として「生花新風体」が発表されました。自然をうつすという基本は守りつつ、多様化する住環境に対応した花形です。
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明治から徐々に浸透した生活様式の変化に従って、大正4・5年(1915・1916)頃から投入盛花を標榜する流派が乱立する時代をむかえました。従来の生花に代わり、投入盛花が平易で華やかないけばなとして喜ばれるようになりました。この流れを受け継いだものが自由花です。約束事にこだわらず自由な形をつくることのできる自由花は、これまで立花や生花が想定してきたのとは異なる空間、シチュエーションに花を飾るための新しいいけばなとして、活躍の場を広げています。
