聖徳太子創建 いけばな発祥の地
西国十八番札所、洛陽一番札所
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六角堂といけばな
いけばな発祥の地
いけばな発祥の地モニュメント
いけばな発祥の地モニュメント
六角堂の北側に、聖徳太子が身を清めたと伝えられる池の跡があります。この池のほとりに、小野妹子を始祖とする僧侶の住坊があり、「池坊」と呼ばれるようになりました。代々六角堂の住職を務める池坊は、仏前に花を供える中でさまざまな工夫を加え、室町時代の「いけばな」成立に至ります。東福寺の禅僧の日記『碧山日録』には、寛正3年(1462)に池坊専慶が花を挿し、京都の人々の間で評判になったことが記されています。
池坊専応口伝
池坊専応口伝モニュメント
池坊専応口伝モニュメント
室町時代後期の16世紀前半、池坊専応がいけばな理論を確立し、一般に『池坊専応口伝』と呼ばれる花伝書を著しました。そこには、単に美しい花を観賞するだけではなく、草木の風興をわきまえ、「よろしき面影」を大切にするという高遠な美意識がつづられ、それが悟りの境地につながるものだと説かれています。この教えは、歴代の家元によって継承され、現在も生き続けています。
立花の大成者 三十二世池坊専好
三十二世池坊専好肖像画
三十二世池坊専好肖像画
専好立花復元モニュメント
専好立花復元モニュメント
池坊のいけばなには、立花・生花・自由花という三つの花形がありますが、そのうち最も古い立花を大成したのが、江戸時代初期に活躍した三十二世池坊専好です。当時の後水尾天皇が専好を重用し、寛永6年(1629)には京都御所の中心施設である紫宸殿で立花会がたびたび催されました。天皇の退位後も専好は仙洞御所で立花を立て続け、それらを描いた絵図が多く伝わっています。
家元道場
家元道場外観
家元道場外観
初生け式
初生け式
境内東部に位置する家元道場は、いけばなにとって神聖な場です。毎年1月5日には初生け式がおこなわれ、全国から集まった門弟たちが、一年間稽古に精進することを誓います。また、4月中旬の「春のいけばな展」と11月中旬の「旧七夕会池坊全国華道展」では、家元をはじめとする作品が並び、内部が公開されます。旧七夕会は、江戸時代に後水尾天皇から開催の許しを賜ったと伝える、由緒ある花展です。