自由花の誕生と新風体の成立

戦後、形式をもたない自由花が定着。また、当代家元の池坊専永は、
時代に適応したいけばなとして生花新風体・立花新風体を発表しました。

自由花の誕生と新風体の成立(戦後~平成)

  • 完成直後の池坊会館
    完成直後の池坊会館
  • 立花新風体の作品
    立花新風体の作品

戦後の復興と発展

昭和20年(1945)、第二次世界大戦の終戦後まもなく、京都と大阪で花展が開かれるなど、池坊は文化国家の再建を目指して活動を開始しました。
昭和27年(1952)、全国の門弟の協力によって池坊短期大学を開学、昭和43年(1968)には米国サンフランシスコに事務所を設置して海外での活動も本格化していきます。昭和52年(1977)には「いけばなの殿堂 池坊」(池坊会館)が完成、池坊中央研修学院といけばな資料館が開設されました。

自由花の定着

戦後、いけばな界では形式の制約をもたない、個人の美感によるいけばなが注目を浴び、昭和40年代、池坊でも自由花として定着しました。自由花は、住空間の西洋化のみならず洋花の普及や個性尊重の時代にいけばなの可能性を広げています。

新風体の成立

昭和52年(1977)、現代の生活空間に適応する新たな花形として生花新風体を、平成11年(1999)には立花新風体が発表されました。新風体は伝統的な美感と構造を基本としつつ、草木の色や形、質、伸びやかさなど、正風体では表現しきれない美を表現するものとして親しまれています。